過去ログには意味がないのだろうか。

そういえば「過去ログ」というのは不思議な言葉だ。 ログとはそもそも航海日記などのことを指し示す言葉であった。 それが転じて記録をつけるという意味になったのだと思う。 ちなみに英和辞典を引いていると

log:
《形》丸太道の◆木の丸太で造った道◆【同】corduroy
《名-1》(木の)幹・胴体、丸太◆伐採して枝を切り落した幹本体。ログ・ハウス、丸太小屋など。
《名-2》記録、通信記録、業務日誌、連絡簿、航海日誌、航空記録、ログ
《名-3》《数学》ログ、対数◆【同】logarithm◆対数「Y=log a(X)」は、「X=aのY乗」と同じ。例えば 3=log 2(8)は、2の3乗が8と同じ。◆【参照】natural logarithm(自然対数)、common logarithm(常用対数
《名-4》《船》測程器◆船尾から引張って船速を計る道具。
《他動-1》記録する、〜を航海日誌に書き込む、〜を記録する、〜の記録を出す、航走する
《他動-2》伐採する、切り倒して丸太にする、木材を伐採する
英辞郎より引用
となっている。
丸太と記録になんの関係があるのか定かではないが、要するに作業中になんかしたことを書き留めることをログというらしい。歴史を見ても解るが人は記録マニアである。その記録マニアっぷりには舌を巻く。歴史という記録が紀元前から残っていることを考えればわかる。


話がそれた。
ログはとった瞬間に過去である。 すなわち過去ログというのはおかしい。 遍くログは過去のモノなのだ。 そんなことが少し云いたかっただけ。意味はない。


さて、本題に入ろうか。
日記やテキストサイトの場合、過去ログは資産となることが多い。これは筆者・または筆者の書いたプロダクトに興味があるためだと解釈することが出来る。 しかしニュースサイトの場合は状況が異なる。


ニュースサイトはログを見せるように出来ていない。
そもそも、ニュースサイトという枠組みがログを読ませる作りになっていない。 羅列型ニュースサイトの場合、ニュースタイトル・コメント・URLのみが情報として提示される。元となったニュースが企業サイトであった場合2週間もすればデッドリンクが発生する。残る情報はニュースタイトルとコメントのみになってしまう。コメントの付け方に依存するが大部分のサイトでは役に立たなくなると直感的に感じるのではないかと思う。このような考え方をログ不要論とでも云おうか。


だが面白いことにログを残さないニュースサイトはブログツール導入の有無に拘わらず稀だといえる。
1年以上更新を続けているサイトではサイト中に「1年前の記事」を再掲する場合すらある。当然リンク切れしていることもあるだろう。 なぜそんなことをするのだろうか? ニュースサイトにとってログの保存・掲載にはどんな意味があるのだろうか?


単純に記録しておく保存しておくことに意味を見いだすだけのモノなのか。そうではない。より積極的に活用する方法があるに違いない。 人は記録するのが好きなのと同時に過去を閲覧することも同じくらい好きなのだから。
ここではこの解を求めるとともにサイトに大きな意味を持たせるツールとしての「ログ」の使い方を考察したい。


考えてみて欲しい。 ログにはどんな魅力があるだろう?
ログには普遍的価値がある場合と「時間」という付加価値がある場合があるのではないか。


普遍的価値を持つ場合はどうか。
閲覧者の目に留まって、懐かしいなと思わせたり面白そうだなと感じてもらえれば、記事の新しさなど関係ないのではないだろうか? つねに新鮮な話題だけを提供するのがニュースサイトではない。 webの情報の劣化速度は恐ろしく速いがあふれかえる情報の中には時間によって劣化しない話題が非常に多いこともまた特筆すべき事実である。
運営側の観点からすれば、ニュースサイト界隈の多くのサイトで取り上げられた話題はwebの常識のように捉えてしまいがちであるが、それは間違った認識であることを忘れてはならない。 閲覧者がログを読み漁ることは困難であるがために、管理者が優良なログを定期的に提示するくらいのおせっかいをしてもよいのではないかと思うのだ。


寝かせることに意味があるとも言えそうだ。
寝かせた時間に意味を持たせることで一見情報不足になってしまったと思えるログに光を当てることが出来るのではないだろうか。最も簡単な例が「1年前の〜」である。1年前にサイトで何が取り上げられていたか、そのサイトの定期的な閲覧者ならば1年前の記憶とともに掘り返してみたい、遡ってみたいと思うだろう。
不思議なもので記憶とは事象とセットになって記憶されている。事象を思い出すことで自分自身のローカルな記憶もよみがえる。 また、現在興味のある分野の昔話は存外に面白かったりするものだ。

記憶という概念を取り出さなくとも、筆者の興味の変遷が見え隠れする。筆者自身に興味を抱いている場合、これは面白い。
取り上げたニュース(話題)とコメント(意見)は如実に筆者の興味のベクトルを表現する。このベクトルの変遷こそがサイトの足跡だといえる。
ログの意味は表面的にはこんなことがあった。あんなことがあった。というだけにすぎないし、情報不足の感も否めない。 しかしそれに誘起される記憶やサイトの変遷という意味をここでは重んじたい。
このことは実は閲覧者よりも運営者にとって重要かも知れない。ログを追うことで成長する過程が見えてくるはずであり、運営者・発信者としての自分を見つめ直すきっかけにもなりうるだろう。


時系列を意識して情報に厚みを持たせられないか。
ログの利用を考える局面ではサイトがある程度継続されていると考えられる。 そうした場合にはサイトの根底に流れるテーマが確立しているのではないかと思う。もちろんそれを公明正大に掲げている必要はないが管理者が意識していなくても自ずと取り上げるニュースの分野に癖が出ていると思う。このようによく取り上げるジャンルの話題に対しては管理者自身の造詣も深まっており、かつログにはその資産が豊富になっていると容易に想像がつく。

この知識と資産をその日のニュースと関連付けてログを時系列順に並べ簡単な考察をつけることで、「〜ということがあった」という単純な事象の紹介を「…というプロセスがあって〜ということが起こった」という過程を見せる一段階解像度の高い情報に昇華することができるようになる。 このような情報は筆者にとっても閲覧者にとっても非常に有益であると思う。


ログは興味の変遷を見つめなおすツールであり、継続を強化することのできるツールでもある。
寝かせているだけのログがあるならばつかってみてはどうだろうか。 ログをアクティブにするだけでwebに提供する知識の幅が広がりより豊かになっていくものだと期待している。