アクセス数とはなんだろうか。

304 Not Modifiedさんのエントリ「ブロガーの憂鬱」は興味深い話だ。 サイト立ち上げ時の意識が様々な形態の情報伝達様式や「紹介」されることを知ることで、徐々に「目」を気にしだす。ふと我に帰ったときに当初の意識から逸脱してしまったのではないか。と不安になる過程を綴っている。
このような意識の変遷はサイト運営者なら誰でも感じたことがあるのではないだろうか? この話題に強く共感した。


アクセス数を気にする心理
これは簡単なようで難しい。 更新という行為に対する対価の要求? 読まれたいという欲求の充足? 読者の反応に反映される自己の存在の確認? 大手と呼ばれるサイトへの憧憬? いずれも不満足な回答であるように思える。 しかしいずれの回答も的を射ているとも思える。
そしてアクセスを気にしないということに美しさを感じることすらある。


私はアクセス数を気にしている
そしてそれ以上に他のサイトで言及されているかどうかが気になる。むしろアクセス数自体はその結果だとも考えている。 これはサイト管理人にだけ受ける話題を提供しようとしているのではない。 サイト管理人に受けるということはすなわち多くの読者の関心がそこにあるということだ。 サイト管理人は閲覧者の代表だと考えている。 そして数多くの記事を目にする機会が多く結果的にもっとも目の肥えた閲覧者であろう。(自分のことはともかくとして。)

羅列型ニュースサイトでも同様のことがいえる。 たとえば引用元としてどれだけ他のニュースサイトの巡回先になっているかがアクセス数に変わる指標になるのではないだろうか。 サイト自身がそれだけ興味の対象となっていることを反映する指標だ。


アクセスを気にすべきか
大いに意識すべきだ。 アクセス数の増加はサイト更新のモチベーションに繋がる。 そして、アクセス解析などを観察することで他のサイトがどのような話題を取り上げるのか、その傾向を知ることができる。
しかし、アクセス数だけを追い求めてスタイルを崩すことは長期的にはアクセスを減らすことになるのではないかと思う。 残念ながらアクセス数は短期的に爆発することはあってもそれが継続することは少ない。 長い目で見たときに増えたアクセスにこそ、本当の価値があるはずだ。
そのためにはある程度一貫したスタイルが必要になる。 閲覧者にとって安心して訪れることのできることが毎日見ようと思う第一条件になるためだ。 サイトのスタイル=雰囲気を重要視したい。 これは、サイト管理人の個性そのものと言うことができるだろう。 要するに自分の思う良いサイトを作ることが、アクセス増加に直結する唯一の道なのだ。 アクセス増加に王道はない。


アクセス増加はいかに個性を打ち出せるかにかかっている。
といっても、特に大したことをする必要があるわけではない。 自分の好きなようにすればいい。 「誰もが書いているから書いても意味がない。は間違っている」でも述べたが、自分の好きな話題に自分が思うままにコメントをつけることが最も重要なスタイルだ。 この行為こそが個性であり、このようにして形成されたサイトの個性に共感した閲覧者こそが、長期的な読者=常連になるのではないだろうか。 自分が興味のあることは、誰かも興味を抱くものだ。
個人ニュースサイトとは、管理人の興味を反映させる鏡のようなものなのだ。 ニーズを念頭に置いて話題をピックアップすることも時には必要になるだろうが、それでもコメントは自分の意識を反映させるべきだろう。


自分にしか書けないことがある。
いや、自分にしかかけないことしかない。
明日は明日の風が吹くさんが、「私は私の書けるようにしか書けない。」と述べている。 まったくその通りだ。 この記事では冗長にこのことの必要性を述べてきたといっても過言ではない。
自分の書けるように書くことは、自分にしかかけないことを書くということだ。 自分の言葉で自分の意見を綴ることが個性を作り上げ、長期的なアクセス増加に繋がるのだと思う。
アクセス増加は結果としてついてくるだけの結果なのだろう。 それを意識することも大切であるが、目先のアクセスにとらわれてスタイルを崩しては意味がないのではないかと感じる。